#11【プロ注目左腕が追及する新しい野球】玉水健太選手 

 社会人野球の日本一を決める都市対抗。その二次予選が各地方で開始されようとしている。アマチュア最高峰の選手が集う、同大会を勝ち抜くことは並大抵のことではない。
「高校から社会人に進みましたが、 周りのレベルの高さに驚きました。最初はなかなか結果が出せず苦労したことを覚えています。」
そう語るのは社会人野球の名門、王子製紙で活躍した玉水健太投手(32)だ。

 玉水選手は兵庫県神戸市出身。播州明治ベースボールクラブから神戸国際大附属高校に進学し、左のエースとして活躍した。三年夏には兵庫県大会決勝に進出、甲子園初出場は叶わなかったものの、粘り強い投球で元ソフトバンクホークスの近田怜王を擁する報徳学園に最後までくらいついた。その後、社会人野球の王子製紙に入社。洗練されたコントロールで低めに投球を集めつつ、打者の意表をつくインコース責めで凡打の山を築いた。第79回都市対抗野球では準優勝に輝き、個人としてもJABA静岡大会新人賞を獲得する等プロ注目左腕として活躍した。

 現在は王子製紙に勤務しつつ、株式会社マイナット野球部で汗を流している。
「マイナットは初期メンバー募集時に知人に誘って頂き加入しました。選手としてまだまだ成長できると思っていますので、色々な人から技術やメンタル面での取組みを聞き、実践するようにしています。愛知県は草野球のレベルが高いですが、全国大会に出場しチームメンバーをプロスタに連れて行きたいですね。
また、草野球は皆さんが休日に時間を作って試合をしています。ですので勝っても負けても楽しかった。あのチームと対戦して良かったと思ってもらえるチーム、プレイヤーになることも目標です。」
プロ注目左腕は草野球というフィールドで、野球経験の還元と関わる選手全員が楽しめる新たな野球のスタイルを追求している。

主な球歴播州明治ベースボールクラブ‐神戸国際大附属高校‐王子製紙‐マイナット
(第89回全国高等学校野球選手権兵庫県大会準優勝、第79回都市対抗野球準優勝、第86回都市対抗野球ベスト4)

(2022/04/22)

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#12【名門高校のリードオフマンが草野球に求めるものとは?】髙橋竜之介選手

 高校野球春季大会が開幕し、各所で熱戦が繰り広げられている。球児たちにとってはチームの上位入賞に加え、夏大会のメンバー入りをかけた重要なアピールの場となっており、チーム内の競争という意味でも熾烈な争いが生まれている。特に強豪校のメンバー争いの激しさは想像に難くなく、全国でも突出した競争環境で有名なのが超名門の仙台育英学園高校だ。

 「仙台育英高校は想像よりもレベルの高い環境でした。私は運良く1年秋にベンチ入りできましたが、競争環境は激しいものがあり日々結果が求められていました。出場できない先輩や同級生達からのプレッシャーは相当きつかったですね。
一方で、同級生に現巨人の松原聖弥、後輩に現ソフトバンクホークス上林誠知が在籍しており、レベルの高い環境で野球が出来た経験は自分にとっての財産になっています。」
そう語るのは仙台育英学園高校で中心選手として活躍した高橋竜之介選手(28)だ。高橋選手は新潟県柏崎市出身。柏崎リトルシニア時代から全日本選手権大会・ジャイアンツカップに出場し、全国の舞台を経験した。高校は名門仙台育英高校に進学、2012年夏には宮城県大会ではライバル東北高校との決勝戦を制し、勢いそのままに甲子園ではベスト16に輝いた。高橋選手はリードオフマンとして強力打線を牽引、初戦の佐賀北高校戦では5打数3安打、2回戦の飯塚高校戦5打数2安打、ベスト8をかけた作成学院戦でも4打数1安打と猛打を振るった。特に特徴的なのは三振した打席は一度もなし、初球から強振をしかける打撃スタイルで相手投手にプレッシャーを与え続けた。その後は東京農業大学に進学、東都大学野球リーグの強豪と凌ぎを削った。

 現在はテレビ局員として働きつつ、球通ベースボールクラブで汗を流している。
「球通ベースボールクラブには兄の繋がりで入団しました。楽しく野球をやるというのももちろん良いのですが。。とにかくレベルの高い野球をしたい、楽しさよりも勝つことに楽しいと感じて野球をしたいと考えています。チームメイトはレベルの高い選手が多いので切磋琢磨して、高め合っていきたいですね。」
ハイレベルな野球を経験してきたリードオフマンは、草野球でも高見を目指しアグレッシブに挑戦を続ける。

主な球歴柏崎リトルシニア‐仙台育英学園高等学校‐東京農業大学‐球通ベースボールクラブ
([柏崎リトルシニア]全日本選手権大会、ジャイアンツカップ出場、[仙台育英高校]第94回全国高校野球選手権ベスト16、長良川清流国体優勝(大阪桐蔭との同校優勝))

(2022/04/22)

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#10【頂点を知る男の日本一への再挑戦】武井友孝選手

 春の選抜高校野球で圧倒的な力を発揮して優勝した大阪桐蔭高校。激戦区・大阪の覇者としての実力は誰もが認めるところであるが、かつて同地区で存在感を放っていたのは、桑田真澄や清原和博ら数多くのプロ野球選手を輩出したPL学園高校であった。最後に甲子園に出場したのは2009年の夏、3回戦で県立岐阜商業高校に敗れ甲子園の舞台から姿を消した。

 「高校時代は怪我をしたこともあり、自分の中では活躍しきれなかったという悔しい想いがあります。」
そう語るのは、捕手としてPL学園高校の2009年甲子園春夏連続出場を支えた武井友孝選手(30)だ。武井選手は大阪西ボーイズからPL学園に進み、強者がひしめき合う大阪でエリートコースを歩んだ。PL学園ではサブプレーヤーとしての出場がメインであったが、最終戦となった県立岐阜商業との一戦でも犠打でチャンスを広げるなど献身的なプレーでチームを盛り上げた。高校卒業後は、名門明治大学に進学。現広島東洋カープの野村祐輔ら毎年プロを輩出する強力投手陣を裏で支えた。

 「社会人になって一時期は野球から離れていたのですが、、また日本一を目指したくなり野球チームを作りました。今では軟式野球の魅力に憑りつかれています。」
現在は球通ベースボールクラブで、前監督から監督を引き継ぎ、プレイングマネージャーとして、優勝を目指してチームメイトと共に汗を流している。
「草野球というと真剣味にかけるイメージもあるかもしれませんが、本気で日本一を目指して活動しています。チーム自体は学生時代に強豪チームで活躍した選手たちも多く在籍していますが、それだけでは勝てません。日々試行錯誤しつつ野球を研究しています。
また、学生野球と違ってチーム運営自体に難しさを感じる場面もありますが、だからこそ挑戦しがいがあると感じています。草野球で自分がこれまで経験した野球を表現しつつ、将来的には野球サロンなどでの発信を通して業界の底上げにも貢献していきたいですね。」
学生時代に頂点を極めた男は更なる高みを目指し、草野球での頂点に挑戦する。

主な球歴大阪西ボーイズ-PL学園高校-明治大学-球通ベースボールクラブ
(2009年甲子園春夏連続出場、2011年明治神宮大会優勝、2013年明治神宮大会準優勝)

(2022/04/18)

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#9【小柄な大打者が放つ大飛球の魅力】野々川裕也選手

 高校野球を経験した人なら誰しも一度は甲子園でホームランを放つ自分を想像したことがあるのではないか。2008年8月7日、観衆2万2千人が見守る中、センターに放った大飛球がバックスクリーンに突き刺さった。
「甲子園でのホームランはたまたまです。野球を初めて20年経ちますけど昔も今もずっと打てないので。笑」そう語るのは東邦高校の4番として甲子園の大観衆を魅了した野々川裕也選手(31)だ。

 野々川選手は愛知県出身。現中日ドラゴンズの堂上直倫も所属した名古屋北リトル・シニアで野球の基礎を学んだ。高いレベルでの野球を求めて、高校は愛知の名門東邦高校へ進学。小柄な体格ながら2年時には柱軸を任され、3年時には4番を務めることとなる。3年夏には甲子園に出場、北海高校との一戦ではバックスクリーンにホームランを放つなどその打棒を振るった。立命館大学進学後は副主将としてチームを牽引、関西学生野球リーグを制し日本選手権出場に貢献した。その後、社会人チーム菊水化学工業でも左の強打者として活躍を続けた。

 現在は名古屋を拠点に活動するBRONZEに所属し、プライドジャパンオープン大会等での上位入賞に向け汗を流している。
「草野球を始めて10年弱ですが、たくさんの人と出会いうことができました。そこで出会った人との繋がりは自分にとって凄く貴重で、大切にしていきたいものとなっています。
BRONZEには友人から誘われたことがきっかけで加入したのですが、生活の一部というか。。朝起きてBRONZEのことを考え、夜寝る前にBRONZEのことを考えています。笑
ただ勝つことを目指すだけでなく、周りのチームや選手達からBRONZEと戦ってみたい、一緒にプレーしたいと思われるような存在になりたいですね。」
取材の中でも自分の成績よりもチームメイトや関わる人たちを重視する姿勢が印象的だった野々川選手。左打席から放たれる大飛球は仲間への想いを載せた分、一層大きな放物線を描く。

主な球歴名古屋北リトル-名古屋北シニア-東邦高校-立命館大学(副主将)-菊水化学工業-BRONZE

(2022/04/10)

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#8【常勝軍団を支えた扇の要の“真剣勝負”】山村将之選手

 常勝と呼ばれるチームには必ずと言ってよいほど名捕手の存在があるのではないか。誰もが認める名捕手としては古田敦也が記憶に新しく、5度のセ•リーグ制覇、4度の日本一とヤクルトの黄金時代を支えた。そんな古田敦也と同門・同ポジションの球歴を持つのが山村将之選手(31)だ。

 「高校1年生までは投手でしたが、2年生の時に捕手に転向しました。捕手になってからは相手チームの分析に人一倍時間を費やしました。勝つためにどうすればいいか、相手を研究し尽くした上で戦略を練っていましたね。」
山村選手は兵庫県出身。神戸甲南ボーイズを経て神戸国際大学附属高校に進学し、扇の要としてだけではなく約120人の個性派集団をまとめる主将としてチームを牽引した。大学は名門立命館大学で、ここでも主将として活躍。関西学生野球リーグ制覇と共に自身もベストナインに輝いた。その後、社会人のJFE西日本に入部。都市対抗2回、日本選手権2回出場するなど捕手として常勝軍団を支え続けた。

 JFE西日本を退部後は、東京バンバータに所属。転勤に伴い、現在は京都を拠点に活動するSAMURAIで汗を流している。
「SAMURAIにはボーイズリーグ時代の同級生の誘いを受けて加入しました。社会人野球や東京バンバータ時代に培った野球勘や、勝つためにどうすればよいかといったことをチームに伝えて欲しいと言われています。今は若手中心で発展途上のチームなのでここから勝てるチームを作っていきたいですね。本気で全国制覇を目指しています。
また、チームとしてはただ野球をするだけでなく、地域貢献や応援してもらえるチーム作りを大事にしています。能前監督のもとSAMURAI系列の少年野球チームの立ち上げも計画しているので、子ども達の育成にも貢献していきたいですね。
最後に、草野球というとどうしても和気あいあいというイメージがあるかもしれませんが、平日にも各メンバーがそれぞれ自主練習を行うなど、大人として本気で取り組んでいます。正直、本気度は高校野球に負けず劣らずだと思います。”草野球=遊び”ではなく、”草野球=大人の真剣勝負を楽しむ場”であることも広めていきたいですね。」
常勝軍団を支えた扇の要が、“真剣勝負”で全国制覇を目指す。

主な球歴神戸甲南ボーイズ-神戸国際大学附属高等学校(主将)-立命館大学(主将)-JFE西日本-東京バンバータ-SAMURAI
(関西学生野球連盟ベストナイン(捕手)、大学野球日本選手権出場、都市対抗2回、日本選手権2回出場)

(2022/04/09)

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#7【技巧派セットアッパーがつなぐバトン】近藤聡選手

 現在セ•リーグ首位を独走する巨人と、一方最下位に甘んじる阪神。両者の明暗を分かつ要因のひとつに投手陣の盤石さが挙げられるのではないか。巨人では、6戦6セーブの大勢、5試合無失点の鍬原、自責点ゼロの今村に戸田を加えた救援投手4人が大車輪の活躍を見せている。ともすると陰の立役者の印象もあるセットアッパーが試合の勝敗を決めているといっても過言ではない。

 そんなセットアッパーに自身の活躍の場を見出した選手がいる。大学時代に圧倒的な実力を持つ投手陣との競争を強いられることとなった近藤聡選手(31)だ。
近藤選手はボーイズリーグ鴻池オーシャン、大阪府立門真なみはや高校を経て大阪体育大学に進学。野球王国大阪で球春を過ごした。高校時代はエースとして活躍した近藤選手であったが、大学進学後に大きな壁にぶち当たることになる。
「大学の同期に現中日ドラゴンズの松葉貴大、元楽天イーグルスの宮川将がいました。正直、彼らを押し退けて試合に出ることは想像できませんでした。」
そんな投手陣の中で活路を見出したのは、両投手を支えるセットアッパーとしての役割であった。近藤選手は、速球派の先発投手陣を引き継ぐ技巧派左腕として1年春からリーグ戦に登板。3年時に肩の故障に悩まされることとなったが幾度となくチームのピンチを救った。
「投手は先発ピッチャーに光が当たりがちですが、一人では勝てません。9回終了までバトンをつなぐセットアッパーの役割は重要だと考えています。」

 近藤選手は現在大阪府のチーム”新撰組”で汗を流す傍ら、府立の支援学校の教員とReformaOsakaBaseballで野球体験イベントの企画・運営を行っている。
「新選組では全員野球で2021年ミズノカップ、プライドジャパンドリームカップで優勝することができました。今年も上位目指して取り組んでいます。
一方、自分自身の経験を伝えるという意味ではReformaOsakaBaseballの活動を通して野球をする子どもたちを1人でも多く増やせればと考えています。高校野球には携われていませんが、今後府立高校でも高校野球の指導をしていきたいですね。
それが実現した後ですが。。自分が野球の指導に関われなかったもどかしさがをあるので、野球の経験を伝えたい指導者と選手をうまくつなげられるようなサポートもしていければと考えています。」
 野球人たちの想いをつなぐセットアッパーとして、近藤選手は奔走する。

主な球歴ボーイズリーグ鴻池オーシャン-大阪府立門真なみはや高校-大阪体育大学-新撰組
(2021年ミズノカップ、プライドジャパンドリームカップ優勝)

(2022/04/08)

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#6【日本一に輝いた努力のオールラウンダーが覆す軟式野球の概念】小栗晋吾選手

 史上初の東京ドーム開催となった女子硬式野球選抜決勝戦、歓喜する福井工大福井ナインとは対照的に神戸弘陵ナインはがっくりと肩を落とした。昨年夏覇者の実力をもってしても日本一はそう簡単ではない。日本一になることの難しさは草野球でも同様であるが、わずか創部4年目にして日本一に輝いたのが大阪バンバータだ。
「チームの取り組み状況として、昨年は高松宮杯で日本一になることができました。今年は天皇杯での日本一を目標としています。」そう語るのはチームの主軸として活躍する小栗晋吾選手(31)である。

 甲子園に出場し社会人野球でも活躍した父の影響を受け、幼い頃から野球に没頭。父親譲りの運動能力の高さでめきめきと頭角を表し、名門立命館宇治高校では1年生にして夏のスタメンを勝ち取った。しかし、輝かしいデビューを果たした一方で高校時代は必ずしも順風満帆とは言えなかったという。小栗選手は当時をこう振り返る。
「高校1年生の夏の大会後に右肘を疲労骨折してしまい1年を棒に振ってしまいました。
野球がしたくても出来ない歯痒さと、他の選手のレベルが上がっていくことに焦りを感じたことを覚えています。他の選手に追いつくため復帰に向けては相当な努力をしました。
また、復帰後も指導者からは走攻守全てがノーマルより上だが光るものがないと言われ続けてきました。相当悔しかったですね。その悔しさがあったからこそ限界を超えるような努力ができたんだと思います。」
 大学は系列校である立命館大学に進学。副キャプテンとしてチームを牽引し、現西武ライオンズの金子侑司らととも全日本大学野球選手権にも出場した。光るものがないと言われ続けた小栗選手は、積み重ねられた努力により走攻守すべてに秀でたオールラウンダーとなっていた。

 現在は、大阪バンバータで日本一を目指す傍、外商専門のスポーツ店の経営と箕面自由学園高等学校硬式野球部のコーチとしても活動している。
「たかが軟式野球かもしれませんが年々レベルが高まってきていると思います。日本一になることで草野球=遊び・レベルが低いなど世間的な軟式野球の概念を覆して行きたいです。また、バンバータとして地域の子供達と交流するイベントをお手伝いさせていだいていますが、活動を通して野球をしたいと思う子供達が少しで増えることを願っています。
最後にですが、学生選手にはYouTubeなどでプロ野球選手の考え方を聞くことや指導者の理論を取捨選択しながた自分に合う物を取り入れていって欲しいと思います。ヒントはいくらでも転がっているので自分で見つけて掴み取って欲しいですね。」
努力のオールラウンダーのあふれんばかりの野球熱は、周囲を巻き込み拡大を続ける。

主な球歴立命館宇治-立命館大学(副主将)-大阪バンバータ
(高校野球京都府予選準優勝、第61回全日本大学野球選手権大会出場、高松宮杯日本一)

(2022/04/05)

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#4【進学校出身のショートストップがこだわり続けたものとは?】川越大介選手

 進学校でも勝つ事できる。2007年夏、全国の舞台でかばい旋風を起こした佐賀北高校の勇姿は、全国の高校球児に勇気を与えた。川越大介選手(32)も進学校出身の野球選手の一人である。

 「進学校で文武両道で野球に取り組んだ経験は、自分にとってかけがえの無いものとなっています。」川越選手は、佐賀県出身。上述の佐賀北高校とは目と鼻の先にある県内屈指の進学校、佐賀西高校で球春を過ごした。佐賀西高校ではレギュラーとして2006年夏の県大会準優勝。2007年には佐賀北に敗れたものの、ショートストップとして県内でも指折りの実績を残した。

 その後、同志社大学に進学。広陵、大阪桐蔭、天理など全国レベルの強豪校で鍛えられた選手たちとの競争が待ち受けていたが、自分自身のやるべき事にひた向きに取り組むことでレギュラーの座を獲得。4年秋に関西学生野球リーグベストナインにも輝いた。
社会人野球でも躍進は続き、西部ガス時代には2年目に補強選手として都市対抗に出場。3年目には主将としてチームを牽引して日本選手権に出場するなど、強豪校出身の選手たちの中でも一際輝きを放った。

 現在は九州から関東に拠点を移し、友人の草野球チームに助っ人として参加しつつ新たな活躍の場を模索中である。
「周りに流されることなくやるべき事に集中してきました。その結果、進学校出身でも全国レベルの選手の中で活躍することができたんだと思います。社会人野球で培った経験も含めこの経験を伝えていきたいですね。
ただし。。チームとして全国で勝った経験が少ないのでそこは今後の課題だと考えています。」
勇往邁進、関東に拠点を移した川越選手は更なる高みを目指している。

主な球歴<硬式>佐賀西高校-同志社大学-西部ガス-嘉麻市バーニングヒーローズ
<軟式>西部ガス軟式野球部(全軟A)、ベースボールチームピア(北九州早朝野球)、イースト(福岡日曜野球連盟)
(関西学生野球連盟ベストナイン、都市対抗出場(補強選手:JR九州)、ベースボールチームピア2021年西日本大会MVP)

(2022/03/31)

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#5【関西のヒットメーカーが抱く野球への想い】吉田大輝選手

 春の選抜高校野球の決勝戦は大阪桐蔭対近江の対戦となり、今年も関西勢の躍進には目を見張るものがあった。西高東低と言われて久しいが、関西には誰もが野球に触れる土壌が育っているのだろう。

 「野球を楽しいと思ってもらえる子供達を1人でも増やしたいと考えています。」そう話すのは関西で球春を過ごし、今も関西を中心に野球文化の活性化に尽力する吉田大輝選手(31)だ。

 吉田選手は履正社高校出身。高校時代は激戦区大阪でライバルたちと凌ぎを削り、2008年には甲子園に出場。勢いそのままに全国の舞台でも快進撃を続けた。その後、関西大学を経て社会人野球のミキハウスに入社。京都府社会人ベストナインにも輝き、右のヒットメーカーとして名を馳せることとなる。

 現在、吉田選手は大阪府を中心に活動するRat’sに所属。日本一を目指して汗を流す傍、野球スクールの運営も行なっている。選手としては横浜スタジアムで柵越えアーチを放つなど、その打棒は健在だ。
「野球については楽しく本気でやっています。打てなかったら1週間引きずるくらいの負けず嫌い、今年こそ日本一を目指します!
一方、野球スクールの活動では、技術だけでなく子どもたちに野球の楽しさや素晴らしさを伝えたい。そのための環境を作ることが野球に育てられたものとしての使命だと考えています。」
子どもの野球人気低下が囁かれる中、関西一筋で野球と向き合ってきた男が、関西発で野球文化の活性化を目指す。

主な球歴履正社高校-関西大学-ミキハウス-Rat’s
(2008年甲子園出場、京都府社会人ベストナイン) 

(2022/03/31)

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#3【名門の主将が考える野球哲学とは?】中谷良也選手

 怪物たちがせめぎ合う甲子園で常に上位に顔を出し、優勝争いに食い込むチームがある。過去20回の出場で63勝12敗、優勝回数は実に8回を誇る大阪桐蔭高校である。そんな常勝軍団を束ねることは並大抵の事ではない。

 「高校に入学した初日の練習で、このチームで試合に出ることは無いなと感じました。」そう語るのは、大阪桐蔭で主将を務めた中谷良也選手(30)である。入部当初に実力差を感じたからこそ人一倍の努力を行うことができたのだろう。練習時間は早朝6時から夜11時半と誰よりも長く、ひた向きに打ち込んだ。1日も休まずに練習に参加したのは中谷選手1人だったという。
努力の甲斐あって、2年次には全国屈指の上級生を押しのけてスターティングメンバーに抜擢、2008年夏の甲子園優勝の立役者となる。上級生の頃には彼の野球に対する姿勢は誰もが認めるものとなり、名門といわれるチームを主将として牽引した。

 そんな中谷選手は現在ITリーグに所属するプロスペクターテクノロジーで汗を流しつつ、会社経営者としても奮闘している。
「野球を通して学んだことが大人になっても活きています。日本の野球文化の良し悪しの良しの部分である、“拘りをもって取り組むこと”は社会人としても非常に重要だと考えています。」
野球の世界で培った経験を存分に活かし、ビジネスの世界でも頂点を目指す。

主な球歴大阪泉北ボーイズ-大阪桐蔭高校-同志社大学-プロスペクターテクノロジー
(2008年夏の甲子園優勝、2010年春の神宮大会出場、関西学生野球リーグ首位打者1回、ベストナイン2回)

(2022/3/25)

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